小田原スポット【富水編】水道発祥の地で起きた事件
小田原市の 富水周辺のスポット!
小田原 水道発祥の歴史について
仙了川沿いに歩いていると石橋が見えてきた。
自宅に戻り小田原市水道局のホームページを見てみると、小田原には水源地は現在
9か所の水源地あるそうです。
1.第一水源地(水道発祥)
2.中曽根補助水源地、
3.第二水源地
4.第三水源地及び片浦地区の石橋水源地
5.米神水源地
6.根府川第一水源地
7.根府川第二水源地
8.根府川第三水源地
9.飯泉取水ポンプ所 高田浄水場へ送水
その中でも昭和11年にできた第一水源地が小田原の水源発祥の地とのことですが石碑のある場所と第一水源地は少し離れいます。
ことの発端は足柄村に隣接する小田原町が飯田岡集落に水源地を設けることを計画したことから始まります。
事件が発生する1年前の昭和7年(1932年)3月
小田原町は足柄村に対し計画案を内示し、村側から了承を取り付けていた。
※イラストはすべて僕の勝手なイメージです
しかし、1年後の昭和8年3月
小田原町側が足柄村へ再度計画を提示したところ、村人側が「足柄村の水利(水上運送の便利さや水の利用)に損害が出る!」と猛反発。足柄村が水源地反対に傾いていった。
さらに、これに追い打ちをかけるように神奈川県庁による飯田岡集落への試掘所建設(これは開発ではなく水利に影響を与えるかの調査をするためのものだったが村人側に正しく伝わらなかった)、さらに村長が「調停を県側に要請する」の主張が村民側から「弱腰」と受け止められたことが村人側の怒りに油を注ぐかたちとなり。
同年7月13日
村内の寺において開かれていた大規模な反対集会に、偶然行われていた足柄村消防組の幹部会議が合流した結果、なんと反対派が300人規模に膨れ上がった。
7月15日午前2時頃
30人の放火部隊が試掘所を襲い、職員2名を捕えた上で放火を行った。そして足柄村消防組を主力とする本隊が消火活動と称して駆けつけると消防ポンプ等の消防用具で試掘所を破壊、更に水道計画に賛成する地元有力者の住居を破壊。
この騒ぎを察知した地元駐在所から警官1名が制止に駆け付けたが、暴行を受け、水田に投げ込まれる。
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