地獄と天~清左衛門地獄池と天豆~【南足柄市 狩野・岩原】
みなさんこんにちは!モディット銀次郎です。今回は地獄へご案内します。
・・・・地獄と言っても
(箱根塔ノ沢阿弥陀寺の開祖である禅誓(たんぜい)上人が開山したと伝えられる)
昔、この地域では水不足で農地が荒れていた |
そこで地元の有力者である加藤清左衛門という人が水源をさがし回ってこの場所まできたところ |
乗っていた馬もろとも地中深く沈んでしまった |
すると不思議なことに、そこから勢いよく水が湧き出してきた。 |
地元の人が泉に向かって「清左衛門」、「清左衛門」と呼ぶといっそう勢いよく水が湧き出し、この地は豊かな農地を拡げることができた。という逸話が伝わり、誰からともなく、いつしか 清左衛門地獄池と呼ばれるようになった |
地獄というのは地面から湧き出るというイメージからついたものでしょうか?
近くに馬場(ばっぱ)遺跡、縄文時代の住居跡がみられることから、この地域がそこまで水に困っていたのではないと思われます、そこでこの清左衛門という人はこの辺り一帯の地主であったか、水源を守った人だったなどの色々な推測がありますね。
アニマル梯団の”おさる”さんもモンキッキーに2度名称変更していますが、結局は一番慣れ親しんだ”おさる”に戻ってきましたよねw 現在は書道家としても活躍されています。 |
この清左衛門地獄池は平成の名水百選は、全国で162点の応募の中から100地点選定され、神奈川県では唯一がこちらが選定されました。
1932年(昭和7年)3月 映画用フィルムの試作に成功した、富士フイルムの前進である大日本セルロイド(現:株式会社ダイセル)は「フィルム・乾板・印画紙事業計画」を決定し、写真感光材料工場の建設に乗り出した。 |
フィルム工場建設における重要な項目はこれらが挙げられた
・夏季に温湿度があまり高くならないこと
・空気が清浄で、冬季に大風がなく、乾燥すること
・鉄分、塩類、有機物質の含有量の少ない水が大量に得られること
・交通が至便なこと
・周囲に人家が密集していないこと
・質朴な気風のある地であること
特に“豊富な良質の水”と“きれいな空気”とは、フィルム製造上欠かせないものであった。
工場建設に適した土地には2人の技師が行った。
それが作間政介 後に富士フイルムの社長に就任する春木榮である、2人は工場建設のため、かなり広範囲に足を伸ばしたが、最終的には東京近郊に絞られた。
この調査で、たまたま南足柄(神奈川県足柄上郡南足柄村、現在の南足柄市)の地を訪れた作間と春木は、そこで「清左衛門地獄」と呼ばれる遊水池(ゆうすいち)に出会った。
※1932年(昭和7年)6月2日
南足柄村は、明神岳のふもとにあり、狩川と酒匂川の間の丘陵地にひらかれた水田で米をつくり、また、そこに散在する畑で、野菜、みかん、茶などを栽培して生計を立てている純農村だった。
そんなのどかな土地に突如 巨大な工場を建設すると話が持ち上がったので、住民の中でも特に土地を手放さなければならない人は大変驚いたことでしょう。
そして昭和9年フィルム工場(延べ面積1万1,000m2の足柄工場の建物)が完成、南足柄市が純国産フィルム産業の発祥の地となり、産業振興の発展はもとより日本が世界に誇る企業の誕生となった。 |
もしかすると清左衛門地獄池という名前インパクトが工場建設地を探していた作間と春木の目にとまり、その後の南足柄の発展につながったのかもしれませんね。
さぁ 地獄の次は天!
訪れたのはオープン間もない11時30分 店内に入ると魔女の宅急便スタイルのオーダー式です。
お店のHPに丁寧なパンの解説があるので事前にチェックしていくと気分が上がります。
いくつか焼き上がりを食べました! あんぱんうまし! あん甘さ控えめでパンは少し固めの小麦の香りが強い感じ。 コーヒー持ってくれば良かった。
まだまだ魅力いっぱいの南足柄市ですので、もうちょっとフラフラしたいと思います。コロナ禍じゃなかったら居酒屋とかも本当は行きたいんですよね。 面白い場所などご存じの方はぜひ教えていただければと!!! それではまた~
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